施主が本当に建てたかった家(その4)
これっぽっちも関係のない話ではございますが、ダイニングから見える田んぼの稲がとんでもない勢いで伸びており、恐怖感すら感じる今日このごろです。いや、それはともかく、施主が本当に建てたかった家シリーズの最終回であります。
私たち一家3人の程々の家、前回ご覧いただいたように、システムあるあるイラストになぞらえてみるとこんな感じになります。
これまでもイロイロと書いてきたように、平たく言って我が家の建築過程やら何やらはかなりボロボロなのですが、それでもほぼ最初に考えたとおりの家を建てることができました。
コレは何も私たちの何かが優れていたわけではなく、単純に「程々の家」という基本がしっかりあって、それを壊さないようにちょっぴり気を使いながら、できることだけやろうとした結果だと思っています。
妻「ヒモを1本ぶら下げるだけやけんね」
私「だけと言っても、ヒモ1本のことを伝えるのがどんだけ手間か」
妻「手間どころか伝わらんかったばい」
私「もし今回の顔ぶれでゼロからブランコ作ることを考えるとゾッとするですよ」
ここでゾッとするというのは、2つの意味があります。ひとつはもちろんBESS東葛さんの能力で、もうひとつは私たちの能力であります。
私も妻も、これまで建築なんかにはほとんど興味がなく、したがって建築ブログを書かれているほとんどの方がお持ちのような憧れやらこだわりやら夢やら何やらがほとんどありませんでした。
もちろんそれぞれやりたいことはありますし、好みもありますが、こうじゃなきゃダメっていうようなイロイロは何ひとつないという状況。そのうえお互い極度の面倒くさがりなので、フツーに家づくりで考えるアレコレを、時間を掛けて考えるのがイヤだったというのもあります。
そんな知識もなくやる気もなく夢も希望もない素人であるところの私たちが、家づくりの本当に大切な部分、つまりコンセプトや全体的なデザインスキームという、イラストで言えばヒモどころかブランコの設計そのものに口を出したトコロで、ロクな結果にならないことは火を見るより明らか。
そんなわけで、その部分についてモデルルームで出来上がりをキッチリ確認できる企画住宅を選択するのは、私たちにとってある意味自然な選択でございました。
私「基本さえキッチリしてたら、あとは施工さえキッチリしてもらえば問題ないし」
妻「営業さんやら設計さんやらがボンクラでも関係ないってこと?」
私「端的に言ってしまえばそう」
妻「でも、誰が工事してくれるかなんて着工までわからんばい」
私「とはいえ、不確定なコトガラを減らせるのは大きなメリットですよ」
上のイラストでいえば、つまり最初から最後までブランコ(というかヒモ)のカタチそのものは変わらないわけで、それだけでも失敗を減らすとても大きな要素になったと思います。
このカタチ、すでに家を建てられた方や、いままさに建てようとされている方だったらお分かりかと思いますが、いとも簡単に変わってしまうものだったりします。
イロイロ勉強していく中で、自分自身で変えていくこともあれば、伝言ゲームの中で変わっていってしまうこともあり、最後には訳が分からなくなってしまうことなどザラのようで、それがほとんどすべてのこんなはずじゃなかったにつながっているのではないか、と。
妻「自分の考えてることを他人に伝えるのって難しかねえ」
私「それ以前に、自分の考えが正しいのかどうかもわからないし」
妻「どゆこと?」
私「たとえば君が服を売ってるとするとします」
妻「はい」
私「細身のパンツが欲しいっていうお客さんが来たとします」
妻「はい」
私「どーしますか?」
妻「細身のパンツば売るばい」
私「でもホントは細身のパンツなんて欲しくないかもしんないじゃん」
妻「?」
私「ただ足を細く見せたいだけかもしれないし」
妻「?」
私「ただ流行ってるからってだけで買いに来たのかもしれないし」
妻「?」
私「ただ自分に似合ってると勘違いしてるだけかもしれないし」
妻「あー」
私「足を細く見せるなら他にいいデザインのパンツがあるかもしれない」
妻「うん」
私「流行ってるだけならパンツだけじゃなくてトップスも揃えなきゃかもしれない」
妻「うんうん」
私「他にもっと似合うパンツがあるかもしれない」
妻「なるほど」
人間自分が思ってるほど、自分のコトを分かってるわけじゃありませんし、たとえ分かってたとしても分かると出来るは別問題なので、たとえば上の例だと自分が本当にほしいパンツが何かは分かってたとしても、それを探せたり作れたりというのはまた別のお話になります。
私「ある意味ずっと勉強してるファッションでさえコレなんだから」
妻「家なんて推して知るべしやね」
私「ホントですよ」
妻「なんかこうエスパーみたいなスタッフがいればいいんやね」
私「基本的に建築に限らず、逆のスタッフが多い気がします」
妻「十を聞いて一を知る的な」
私「少なくともBESS東葛さんの場合は、残念ながらそうでしたなあ」
んー、何を言いたいのかわからなくなってきたので、ちょっとインターバルを置いてまたこのテーマは続けようかな、と。
次回「第一次外構大戦(その1)」につづく